中曽根元首相死去【墓場まで持っていく】発言のその真相とは??
中曽根康弘元総理大臣が
29日、東京都内の病院で亡くなりました。
101歳でした。
【中曽根 日航機】都市伝説的な陰謀論?中曽根元首相の死去により真相は墓場まで持っていかれた!?
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【中曽根康弘死去】101歳 歴代最高の総理大臣との評価も 東大卒 群馬県高崎市出身 国鉄民営化等
目次
中曽根康弘元総理大臣が
29日、東京都内の病院で亡くなりました。
101歳でした。
「戦後政治の総決算」を掲げ、
国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組みました。
群馬県出身。東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省に入省する。海軍短期現役制度で戦時中に海軍主計士官に転じるも、終戦後には内務省に再勤する。退官後、衆議院議員に当選。以来、中曽根派を形成するなど自由民主党内で頭角を現し、科学技術庁長官をはじめとして運輸大臣、防衛庁長官、通商産業大臣、行政管理庁長官などの閣僚経験を経て、1982年(昭和57年)から1987年(昭和62年)にかけて内閣総理大臣を務める[1]。国鉄、電電公社、専売公社、日本航空の民営化を達成した事績が特に知られる。またアメリカのロナルド・レーガン大統領と「ロン・ヤス」関係と呼ばれる信頼関係を構築して日米安全保障体制の強化にも努めた。※ウキペディア
中曽根康弘元総理大臣が
29日、東京都内の病院で亡くなりました。
墓場まで持っていく
この真相はいったい何だったのでしょうか。
✔日航機墜落事故に関わる発言
✔国鉄分割民営に関わる発言
と分かれているようです。
陰謀説などささやかれていますが、実は、
墓場まで持っていく
は、中曽根元総理ご自身が
国鉄分割民営に関わる発言をした上での発言だったこと
が有力なようです。
日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日午後6時56分30秒、東京・羽田空港発、大阪・伊丹空港行の同社定期便だったJAL123便が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称:御巣鷹の尾根)へ墜落した事故。飛行中に機体後部の圧力隔壁が破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムも全喪失、操縦不能に陥り迷走飛行の末、墜落したとされている。1978年に伊丹空港で起きた同機の「尻もち事故」の際、機体の製造会社である米国ボーイング社が実施した不適切な修理が原因とされる。
この事故では乗客乗員524名のうち、520名が死亡し、日本航空の歴史上最悪、そして単独機で世界史上最悪の死者数を出す航空機墜落となった。※出典:ウキペディア
陰謀説などささやかれていますが、実は、
墓場まで持っていく
は、中曽根元総理ご自身が発言した内容に関係しているようです。
それは、国鉄分割民営に関わる発言であることが有力なようです。
中曽根氏が「墓場まで持って行く」は日航機事故の件ではなく、国鉄分割民営の件ですってば。国鉄再建のためではなく、特定の労働組合を合法的に抹殺するための方策だったことを、後年になって明かしたことです。
それは国鉄分割民営の目的が、国鉄の経営再建のみでなく特定の労働組合を合法的に潰すためだったことを告白した際の発言です。
そのソースが1996年12月の「AERA」という雑誌にあることもハッキリしています。この発言は、日航ジャンボ機墜落事故とは全く無関係であることも分かっています。何処かの陰謀論信者が、陰謀論の話の信憑性を高めるために、中曽根氏の無関係な発言を陰謀論に付け替えたのだと考えられます。
ちなみに中曽根氏の「墓場まで持って行く」発言は、日航ジャンボ機墜落事故とは無関係の国鉄分割民営に関わる発言です(しかもその発言は「墓場まで持って行く」はずだった話を告白した際の発言です)。
この中曽根氏の発言は、上記に示した陰謀論の発生・拡散過程において誰かが付け足したものです(この話も最初の「標的機衝突説」の著作にはなかった話です)。これら陰謀論を信用性を高めようとした誰かが、中曽根氏の発言で都合の良いところだけを切り取って、説に貼り付けたと見て良いでしょう。
※以上、出典:Yahoo知恵袋
国鉄分割民営の目的が、国鉄の経営再建のみでなく特定の労働組合を合法的に潰すためだったことを告白した際の発言
中曽根康弘元総理大臣が
29日、東京都内の病院で亡くなりました。
墓場まで持っていく
発言は、中曽根元総理ご自身が
国鉄分割民営に関わる発言をした上での発言
が有力だったようです。
中曽根元総理のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
中曽根康弘元総理死去【中曽根内閣】の功績は?消費税と関係あるの?
【中曽根 日航機墜落事故】都市伝説的な陰謀論?中曽根元首相の死去により真相は墓場まで持っていかれた!?