【山梨小1女児不明】母親が燃料投下?なぜ炎上してしまうのか?

【山梨小1女児不明】母親が燃料投下?なぜ炎上してしまうのか?

山梨の道志村の「椿荘オートキャンプ場」で、

7歳の女の子小倉美咲ちゃんが行方不明になり1ヶ月以上経過しました。

9月30日に山梨県警が女の子の写真を公開し、

母とも子さんもチラシを配って情報提供を求めています。

そんな中、いろいろな考え方がみられ

ネット上ではたびたび炎上しています。






【山梨小1行方不明】母親が燃料投下?

山梨の道志村の「椿荘オートキャンプ場」で、

7歳の女の子小倉美咲ちゃんが行方不明になり1ヶ月以上経過しました。

そんな中、いろいろな考え方がみられています。

そして、度重なるネットでの炎上。

ある記事にはITジャーナリストの分析がこう書かれています。

「ネットの炎上は憂さ晴らし系と世直し系に大きく分けられると思います。今回は、母親の行動が非常識だと感じた人は憂さ晴らしに、母親犯人説を唱えるような人は、“メディアが報じない真犯人を見つけて吊し上げろ”という世直し気分で、それぞれバッシングしたのでしょう。日本人の国民性だと思いますが、悲しいときは悲しそうにしているはずだ、という考えが前提にあるところに、とも子さんは心中はどうあれ、はっちゃけているように映ってしまった。一度そう見られてしまうと、その後、なにをしても揚げ足をとられるのは、よくある話です」※出典:デイリー新潮

風化されない反面、なぜこんなに炎上を招いてしまっているのでしょうか。

ネット上で、母とも子さんに違和感などを与えてしまった理由、

炎上してしまった理由とは何のでしょうか。

なぜ炎上してしまうのか

山梨の道志村の「椿荘オートキャンプ場」で、

7歳の女の子小倉美咲ちゃんが行方不明になり1ヶ月以上経過しました。

そんな中、いろいろな考え方がみられています。

そして、度重なるネットでの炎上。

なぜこんなに炎上を招いてしまっているのでしょうか。

考えられるポイントをまとめてみました。

・SNS更新

・会見

・ヘアケア

・募金

SNS更新

山梨の道志村の「椿荘オートキャンプ場」で、

9月21日に7歳の女の子小倉美咲ちゃんが行方不明になり

母親はSNSを更新しています。

そのさい、お店のハッシュタグや馬の写真をあげたことから

炎上が始まったと思われます。

これは難しいところですが、

捜索に慣れていない家族が、どこまでできるのでしょうか。

また、別の考え方だと、自分の子どもが行方不明になったさいに、

自分のせいでいなくなってしまったと思ったら、スマホで

馬を撮る余裕などない方が多いのではないでしょうか。

実際の状況がみえないだけに、何ともいえません。






会見

山梨の道志村の「椿荘オートキャンプ場」で、

9月21日に7歳の女の子小倉美咲ちゃんが行方不明になり

9月30日に両親で会見をしています。

手書きで書いたメモを読む、

涙が出ていない、マスカラなどする余裕などいろいろ言われていました。

この会見では母とも子さんだけでなく、父親の雅さんが顔を出していないことが

夫婦の温度差などを与えてしまい、より違和感を与えてしまったようです。

ヘアケア

某TV局の独占インタビューなどに出たさい

髪の毛を切り、髪の毛が明るくカラーリングされていたことで

非難を浴び、またまたネットで炎上することになりました。

娘が行方不明になった中、美容院へいける余裕が

やはり、違和感としてうつってしまったようです。


*写真はイメージです。

募金

山梨の道志村の「椿荘オートキャンプ場」で、

7歳の女の子小倉美咲ちゃんが行方不明になり募金活動を始めたことが

より違和感や不信感を与えてしまったようです。

現在は終了していますが、募金の理由として

捜索費だけでなく、医療費なども含まれていたことで

多くの方が驚いたようです。

行方不明になったさい、情報提供のため懸賞金を出すことはあることですが、

募金をすることがほかに例がなかったためではないかと思われます。

また、炎上したことで募金を止め、台風被害へ回すといった流れになってしまったことも

さらに炎上をまねいたと考えられます。

美咲ちゃんのために募金したお金なので、

台風被害に回すより募金された方へ返金するのが良かったと思われます。

まとめ

山梨の道志村の「椿荘オートキャンプ場」で、

7歳の女の子小倉美咲ちゃんが行方不明になり1ヶ月以上経過しました。

そんな中、いろいろな考え方がみられています。

ネット上ではいろいろな方が自分の考えを自由にコメントできる環境でもあります。

そして、度重なるネットでの炎上。

ITジャーナリストが述べている

日本人の国民性だと思いますが、悲しいときは悲しそうにしているはずだ、という考えが前提にあるところ

一度そう見られてしまうと、その後、なにをしても揚げ足をとられるのは、よくある話です

この言葉の通り、最初のSNS更新から始まったように思います。

世間の思っていた母親の姿ではなかったことから始まったのではないでしょうか。